久留島喜内(本名:義太)


 江戸期の和算家( ? 〜 1757)。関孝和,建部賢弘と共に,三大和算家と称される。 独学で和算史上最高ともいえる境地に達したともいわれる天才で, 浮き世離れのした酒仙で,金はもちろん余分な米や時期外れの服などを, 全て酒に替えてしまったという。

 喜内の和算の業績は,主に友人・弟子が編集したもので 「久氏弧背術」(三角関数か?),「久氏三百解」,「久氏遺稿」など多数ある。 オイラー関数の公式を、オイラーの発見(1761)より早くに見つけていた, という話は,松田さん(千葉大学)の ホームページ で教わった。

 将棋はアマ4段と伝えられ,特に詰将棋において数々の傑作を残している。 自身のまとめた作品集はなく,わずかに2つの筆写本が 「将棋妙案」,「橘仙貼璧」 という名で後世に伝えられている。 数学者らしい論理的な作品が多く,特に無限軌道手順(千日手)をいくつかの鍵を 見つけてほぐしてゆく 『智恵の輪』 と称される作品群は,久留島独自の理論構成による名作である。

(参考文献)門脇芳雄編『続・詰むや詰まざるや』東洋文庫335(平凡社)



 数学史の本を見つけて少し調べてみたのですが,その本には将棋は「初段」であったと書かれていました。また,囲碁に関して,時の本因坊に会ったときの出来事として,
碁については石の生死すら知らないのだが,目が二つなら生きで一つでは死かと,本因坊に聞くとその通りだと答えた。
その夜帰ってから碁の詰物を作って,翌日本因坊に贈ったところ,それは本因坊の意に叶うものであった。
という話が書かれていました。また,数多くの数学の問題に混じって,
将棋向手前持馬有駒成不成変数
という問題が出ていたことが紹介されているのですが,数学史の本なので「これは将棋の駒に関する変数の問題である」としか書かれていないのです。一体これは何を問う問題だったのでしょう?気になってしまいます。



オイラー関数

 オイラー関数とは,自然数 N が与えられたときに,1 から N までの自然数 のうち N と互いに素(共通の素因数を持たない)であるものの個数を与えるというものです。この値は,N の素因数分解がわかっていれば簡単に計算することが出来ます。すなわち,N = p^a.q^b.r^c...(pのa乗×qのb乗×rのc乗・・・)のときには,求める値は

N(1-1/p)(1-1/q)(1-1/r)... = N(p-1)(q-1)(r-1).../pqr...
となります。すなわち,N に 各素因数から1を引いたものを全てかけて,各素因数の積で割って得られる値です。
 この関数は,オイラーの業績(1761)として残っているのですが,久留島喜内 (1757没)の残したものの中に,以下の記述を見つけることが出来るのです。

今有分母三百六十,以盡分子,問其件数幾何
乃母子渡等数者不用之
分母三百六十,分子一,七,十一,十三此類ナリ
術曰,列三百六十為実,依独積法求約数,二,三,五,各減一,相乗得八,
以三百六十乗之,所得以約数除之,合問。


(現代語訳)

分母が360で,以下のような分子を持つ数の個数はいくつか?

分母と分子に共通の約数がない
分母360で,分子1,7,11,13など
360の約数2,3,5を求め,それぞれから1を引いたものをかけると8が得られ, ((2-1)(3-1)(5-1)=8)
そこに360をかけ,約数で割れば,答である。


 原文は現代漢字で書き換えてあります。また,現代語訳はいい加減です。
 いずれにせよ,書かれている計算は
360(2-1)(3-1)(5-1)/2.3.5 = 96
というもので,先に書いた公式通りのものです。

オイラー関数の重要性はここでは述べませんが,最も重要な性質として,

N に対するオイラー関数の値を X とおくと,N と互いに疎である自然数 M に 対して,M の X 乗を N で割ったときの余りは 1 である。
というものがあります。このことを久留島喜内が知っていたのかどうか 興味が涌きますが,今となっては(少なくとも私には)わかりません。


(参考文献)『明治前 日本数学史』日本学士院編(野間科学医学研究資料館)
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